泰緬鉄道
(タイ・カンチャナブリ、2006年11月13日撮影)
Kanchanaburi, Thailand

1942年、日本軍がインド攻略に向けて戦線拡大していて、ビルマ(現ミャンマー)先鋒隊へ
の補給は、連合軍との戦いの中でシンガポールやマラッカ海峡
の制海権が不完全であった。
日本軍より以前に、英国軍がビルマやタイを占領していた頃に、英国軍がビルマ・タイ間に鉄道
建設を計画していたことがあり、5つのルート案を作ったらしい。しかし、何れの案も建設を諦める
ような傾斜が険しく厳しい山間部であった。タイ側のノンプラドックから263km、ビルマ側タンビューザ
ヤットから152km、合計415kmの鉄道を実質17ヶ月と言う短期間に日本軍は作った。連合軍捕虜
61000人、現地労務者(インドネシア人、マレー人、ビルマ人、中国人、インド人、そしてタイ人)
14万人、合計20万人を擁して1943年10月17日に完成させた。しかし、カンチャナブリ地方は
気象条件が厳しく、多くの犠牲者を出して鉄道は出来たことも忘れてはならない。終戦後、ビルマ側
の鉄道は撤去され、タイ側は峠近くのナムトックまでがタイ国鉄として再利用されている。今回のツアー
でナムトック付近から20km程の下り区間を乗車した。断崖絶壁の岸辺を苦労して建設した鉄道だ。









クワイ・ヤイ川





線路の真ん中を歩けるように板が敷かれている。










朽ちて落ちそうな不安もあるが、タイ国鉄の管理で列車も走っている。





線路脇に洞窟があり、戦後犠牲者を悼むために仏像が修められている。





白人の方の観光客も多い。彼等も手を合わせていた。私も合掌。











列車は3往復のみ





















ナムトック終点からやって来たジーゼル機関車。
この大きな列車だ、あの桟橋は持ち堪えるのか?





























クワイ・ヤイ川から離れると、しばらくトウモロコシやピスタチオの畑の中を走る
白人の観光客が、かなり多い。




20km程走って、観光客は降りた。列車には客が殆ど残って居なかった。

日本軍は、何を求めてここへ来たのか、昔が思い返される。


    

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